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成年後見制度の種類-〔補助〕〔補佐〕〔後見〕

成年後見人制度 地域包括支援センターの日常
成年後見人制度
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  一口に成年後見といっても、場合によっては成年後見を受ける人の意向なしには何もできないことがある。

 成年後見を受ける人の判断能力に応じて、権限がだいぶ違うのだが、世間一般でいう判断能力の有り無しと、成年後見人制度の判断能力のあるなしは落差があると思う。

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成年後見制度の類型

 成年後見制度の後見人(類型によって呼び名が違うのだが、ここではややこしいので後見人としている)の権限は、制度を受ける人の判断能力によって変わってくる。

 これを【類型】という。

 【類型】には〔補助〕〔補佐〕〔後見〕の3種類がある。

 この類型に沿って「補助人」「保佐人」「後見人」というのがつく。

 権限の強さで言えば「補助人」<「保佐人」<「後見人」となる。

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成年後見制度の〔補助〕類型とは?

 〔補助〕類型は判断能力がある程度低下し、「判断能力が不十分」である人が対象。

 類型の中で一番判断能力の低下が軽い場合にこの類型がつく。

「判断能力が不十分」な状態はどんな状態?

 判断能力が不十分というのは、どういう状態か?

日常的(買い物や家事等)なことは自分でできる
一人では難しいことや苦手なことがあり、それについては他者の援助を必要とする

 といったような状態。

 一般市民から見ると、「判断能力なんかないでしょ!」と思うような人が、この補助という類型になることがとても多い。

 判断力の低下で借金を作りまくってるような人でも大体生活できていれば、この補助という類型になる。

「補助人」にはどこまでの権限がある?

 補助人の権限は低い。

 本人が「どうしても嫌」と言い出せば、ほぼ何もできないと思っていい。

 本人のためにならない契約なども家庭裁判所が「取り消しする権限がある」「補助人の同意が必要」と認めた部分補助人の権限が及ばない。

成年後見制度の〔補佐〕類型とは?

 成年後見制度の〔補佐〕類型は「判断能力が著しく不十分」と家庭裁判所が判断した人の類型。

「判断能力が著しく不十分」とはどんな状態か?

 「判断能力が相当程度低下してしまった」とはどういう状態かというと

「判断能力が相当低下してしまった」状態
日常的な事柄は一人でできても、契約や法律行為を一人で行うのは不安があるような人

 というより、現実的な判断を見ると

他社の話の内容がほとんど理解できず、日常生活に破綻をきたしてしまっている人

 といった感じの人が〔補佐〕類型になることが多い。

〔補佐人〕の権限

 〔補佐人〕の権限は〔補助人〕よりはだいぶ大きい。

 本人が「嫌」といっても、裁判所が認めた項目なら、契約の取り消しができ、契約には保佐人の同意が必要になる。

成年後見制度の〔後見〕類型

 裁判所が一番判断能力が低いと判断したものが〔後見〕類型。

 たまに判断能力が回復することはあっても、ほとんどの場合、判断能力がない状態

 がこの〔後見〕類型。

 実際にはどんな状態の人が〔後見〕類型になるかというと

話しかけても返事がまれにしか帰ってこない
話しかけている相手もまれにしか認識できない

 といった人でないと〔後見〕類型にはならないようだ。

〔後見人〕の権限

 後見人の権限は非常に強い。

 ほぼすべての法律行為について本人の同意なしでも、代理となる権利や取り消しする権利がある。

成年後見制度の類型はだれがどう決める?

 成年後見人制度の類型は、どこで決まるかというと

基本的には家庭裁判所
家庭裁判所は「医師の診断書」と「訪問などの調査」から類型を決定する

 ということで、大体は「医師の診断書」に書かれた類型がそのまま成年後見人制度の〔類型〕になることが多い。

 ただし、「訪問調査」で「医師の診断書」に書かれた類型と違うと家庭裁判所が判断すると、再度医師に【鑑定】というものを依頼する。

 要は「診断上の類型に疑問があるので、もっと詳しく検査して、きちんと判断してください!」と家庭裁判所から医師に通達と再診断の要求が出えるわけ。

 なので、医師としても、重めの類型を出して【鑑定】になっても困るので、少し軽めの類型になることが多いのかもしれない。

 何より、本人の権利を守ることが重要視されているので、

「後見制度の権限を大きくすることは、本人の権利の侵害につながる」

 という考え方がある。

 これが、世間一般の「判断能力の有り無し」と大きく乖離してしまっているのだろうと思う。

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